スピリチュアルが現実逃避にならないように

自分自身を肯定することと現実逃避すること

スピリチュアルでは、自分自身を肯定することを目的としている部分があります。
肯定するためにマインドフルネスを行い、学び、経験し、生き方を考える、そうした流れのようなものがあります。
ですから教えの中には、『ありのままの自分で良い』『自分は唯一無二の存在である』『自分を否定する必要はない』などという言葉も見られます。
また、『自分自身の全てを肯定することで道は開ける』や『ありのままの自分で楽に生きることで、全てが上手くいく』などという考え方もあるでしょう。

こうした言葉は、確かに自分がダメになりそうなときや、自信を失っているときには、自分を肯定してくれる言葉として、勇気づけられるものとなるでしょう。
しかし、一方で「自分は変わる必要はない」「自分は完璧な存在だ」「今はそういう時期なんだ」と、全てを自分に取って都合よく受け取ることもできてしまうのです。
もちろん、自分を肯定することは大切です。
自分の人生を歩み、自分の幸せを手に入れるためには、『自分を信じる』ということが最も重要です。
しかし人生には、不安も不満もたくさんあって当然です。
「これでいいのか?」「自分は間違っていないか?」と、確信を持てないこともあるでしょう。
そんなときに『ありのままの自分で良い』『自分を否定する必要はない』などという言葉に出会ってしまうと、人は楽な道へと進んでしまうことがあります。
もちろん、それでいいということもあるでしょう。
しかし考えてみてください。
自分にとって都合の良い受け取り方と、自分に必要な受け取り方は全く別物です。
乗り越えることで、さらに成長をすることができるかもしれない機会で、楽な方へと流れてしまうのでは、全く本末転倒です。
自分自身を肯定することは、現実逃避とすることとは違うということを心に留めておく必要がありますね。

ポジティブ思考に関する誤解

スピリチュアル的な考え方に、『引き寄せの法則』というものがあります。
引き寄せの法則は、本当に思い込むことで、そのことが現実として引き寄せられるというものです。
ただしそれは、本心からそう思い込むことが必要で、例えば「宝くじに当たりたい!」と思っている人は「宝くじに当たった自分」になる必要があるのです。
そうすることで自分から『宝くじに当たった人』の波動が発せられるため、同じ波動が引き寄せられて、結果的に「宝くじに当たった」となるのです。
つまり、自分の中からなりたい自分の波動が出るほど、本気でそう思い込む必要があるということですね。
少しでも「そう思い込めば、そういう自分になれるんだ」という思考が残っていたり、「本当に当たればいいな」などと思っていては、「宝くじに当たった人」の波動ではなく「当たればいいな」と願っている人の波動が出てしまいます。
そうなると引き寄せは失敗ですね。

しかしこの『引き寄せの法則』を誤解して、「ポジティブに考えることで良い出来事が起こる」という部分だけピックアップして、「じゃあ、今日からポジティブでいよう!」と全てをポジティブに考えることで解決しようとする人がいます。
自分の中にある不安や心配事に対して「必ず上手くいく」「絶対に大丈夫」と考え、言い聞かせたり、内面にある怒りや悲しみを押し殺して「楽しい!」「嬉しい!」などと無理矢理思おうとするのは、実はポジティブとは真逆のやり方です。
ここにポジティブ思考に関する誤解があるのです。
「常に楽しく過ごさなければ」「ネガティブに考えてはいけない」こうした考え方が根底に残った状態で、暗示にかけるように「ポジティブに・・・ポジティブに・・」と考えているのは、非常にネガティブな上に自分の感情を否定し、さらに押さえつけ、不安や怒りや悲しみは増幅するばかりでしょう。
そこに引き寄せられるのは、決して幸せなことではありません。

思い込もうとする、自分に言い聞かせる、これでは自己暗示です。
そして結果的に何も解決することができない『現実逃避』となってしまいます。
日々の生活の中でイライラしたり、嫌になることがあったり、過去の嫌な記憶に振り回されたり、そのような状態で全てをポジティブに捉えることは簡単ではありません。
何より、嫌な出来事は全てがネガティブではありません。
一見ネガティブな出来事であっても、そこから学ぶことがあったり、我が身に置き換えて考える機会になったりもします。
『ネガティブ=悪いこと』と考える必要はないのです。
つまり、ポジティブとは思い込みではありませんし、感情を押さえつけることでもないということです。
ポジティブに捉えるということを現実逃避に利用していては、幸せを引き寄せることは難しいでしょう。

人生が負の連鎖にならないように

人は誰でも、生きていれば嫌なことや理不尽な扱いを受けた経験や、傷つくことはあるでしょう。
それは子どもであっても大人であっても同様です。
子どもでも大人でも乗り越えなければいけないことがたくさんあり、経験することで学ぶこともあります。
しかし乗り越えなければいけない出来事が起こる度に、誰かが必要以上にその人の人生に踏み込んで助けてしまうと、それは負の連鎖になってしまいます。
それは本人に与えられた試練であり、体験することで学ばなければいけないことなので、必要以上に踏み込まれてしまうと本人のためにはなりません。
経験は、乗り越える力を養います。
しかしその経験をすることができなかった人は、人生の経験不足となって負の連鎖となってしまうのです。
さらに、自分で乗り越える機会を与えられなかった子どもは、本当の自信を身に付ける機会を失ってしまったので、散々介入して助けてくれた親に愛されている実感を持つことができず、結果的に親だけが『助けた自分』に自信を持ってしまいます。
親からの過干渉は、自分の存在価値を低くし、必要とされたい思いを強く持ち、必要以上に相手に尽くしてしまう人間を作ってしまいます。
パートナーの借金を肩代わりしたり、浮気を許したり、酷い言動も許してしまったりします。
それは苦しく辛いこととなり、抜け出す術が分からないことでスピリチュアルに現実逃避することもあるようです。
しかし、こうした負の連鎖を断つためには、やはり実態のある経験が必要なのです。
経験が不足している人が、無理に自分を肯定して自己評価を上げようとしても、無理があります。
生きにくさや辛さを親や環境のせいにして、「自分は自己肯定感を強く持とう」ではさらに辛くなるでしょう。
現実逃避をすることなく、「そうしたこれまでの人生も自分の人生だ」と肯定し、そこから自分を始めることです。

スピリチュアルに依存している人へ

スピリチュアルに依存する人のほとんどは、現実世界を生きることが難しいからでしょう。
現実世界では、必ず何かの出来事に向き合わなければいけません。
向き合うにはエネルギーが必要ですから、エネルギーがなければ現実世界を生きることは難しいでしょう。
スピリチュアルな世界は、ある意味でフワフワとした非現実的な世界ですので、そこに依存したくなるのでしょう。
しかし人は、現実世界で生きていかなければいけません。
では、スピリチュアルな世界に何かを求めてはいけないのかというと、そういうことではありません。
スピリチュアルな世界を知り、学び、経験し、そのことが現実世界を生きることに活かされなければいけません。
スピリチュアルな世界と現実世界は、切り離して考えることはできないのです。
人は、スピリチュアルな世界から生まれ、スピリチュアルな世界に帰って行きます。
だからこそ現実世界をきちんと生き、成長しなければいけないのです。

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