精神世界における芸術

芸術が持つ意味

芸術は、全てにおいて人間の内面性を表現するものです。
例えば画家は、目にしたものをそのまま描くのではなく、自分の内面の精神世界を描き出します。
また、ダンサーは自分の内面の精神世界が踊りに現れ、音楽家もまた目には見えない精神世界が音楽となって表現されます。
芸術は、自分の内面を外部に出す場合の媒体となり、それを受け止める側も自分の内面に響かせます。

人間はそれぞれに内面に目には見えないものを持っています。
それを目に見える形で表現するのが“芸術”です。
例えば、同じ曲をビアので弾いても、弾く人によって別の表情を感じることができるでしょう。
また、同じ対象者を絵に描いても、同じものになることはありません。
これはそれぞれの内面性によるものだと考えられます。
つまり、自己意識は個人によって異なり、それは一つの精神であるということです。
芸術は、そうした自己意識を表現するものであり、鑑賞する側もまた自己意識に響かせるものとなるのです。

芸術は表現活動として完結するのか

芸術は一種の自己表現であり、表現活動の一つです。
つまりそれぞれの主観だけで収めることはできませんし、だからと言って普遍的な価値があるとも言い切れない側面を持っています。

芸術は、ある意味で内面を表現する個別の主観であり、一方で普遍的なテーマを作品にすることで伝達する行為でもあります。
価値観は人それぞれではありますが、プラトンのイデア論的な芸術観と結びつけて考えてみましょう。
プラトンの“イデア”は、簡単に言えば『物事の純粋な本質』や『理念』のことです。
物事には、肉眼で見ることができる姿形の背景に、必ず理性があると言っています。
理性はつまり『心の眼』のことで、これによって見て取ることができる普遍的で且つ客観的な『本当の姿』が存在すると考えたのです。

芸術は、物事をそのまま模倣するものではなく、物事の本質や『本当の姿』を模倣するものなのです。
ですから、“芸術は自然を超えた美を表現するのだ”という芸術思想も西洋では生まれており、芸術家は自然の中で本来あるべき姿を作品にするということです。

作品の中に見る精神世界

人は風景を見ると、「そこに山がある」「右側には森がある」「手前には民家がある」という風に見ますね。
このような見方をするのは、いわゆる山や森や民家が概念化されているからです。
こうした見方は、外的対象物に対してこちらの意識がそれぞれの物に対して意味を持って認識しているということでしょう。
しかし生まれたばかりの赤ちゃんは、そのような知識はありません。
外的対象物と自分の意識という境界線はなく、赤ちゃんにとっては全て身体を媒介して世界と直接に接触し交流すること以外はないのです。
知覚の働きとは、まさしくそうした直接的な『世界との交流』なのです。
人は成長するとともに知識や認識を身に付け、自分の意識する世界にある概念が先に立ち、精神世界で物事を見ることが困難になることが多くあります。
芸術作品に感動を覚えたり、或いは衝撃を受けるのは、そうした概念を取り払った『世界との交流』を実感できるからでしょう。

芸術には、絵画・音楽・陶芸など様々な分野がありますが、全ての活動は作者の意識を表現する行為ではなく、さらに他者に向けて広がる尚も豊かな世界を表現したものなのです。

自分が意味を与えているということ

世の中の、全てのものは常に中立です。
どんな人にどんなことが起こったとしても、その“起こったこと自体”には意味はありません。
意味づけしているのは『自分自身』なのです。
芸術に対して「素晴らしい!」と感じることも、感動や喜びを感じるのも、それはその芸術作品から広がるものに対して、自分自身が感じていることなのです。

例えば日常における出来事であっても。

・好きな人とデートをした = 楽しい
・嫌いな人に文句を付けられた = 腹立たしい
・プレゼントをもらった = 嬉しい
・大切なものが壊れた = 悲しい

このように、出来事に対して意味づけを感じているのは、自分自身だということです。
どう感じるかは自分次第です。
自分の気持ちの持ち方によって、マイナスの感情を抱かずに生きていくことも可能だということですね。

ただし、人には『集合的意識』というものがあり、「こういう出来事があれば嬉しい」「こういう出来事は悲しい」という風にあたかも決まった感情のように感じているのは“集合意識”の影響かもしれません。
例えば。
・失恋すると悲しい
・知っている人が亡くなるのは悲しい
・災害は怖い

このように「こう思うのが当然」「こう感じるのが当たり前」という集合的意識からの意味付けが無意識のうちに与えられているのです。
つまり、自分の身に起こっていることには実は意味はないのですが、そこに意味づけをしているのには2つの要素があるということです。

①自分の意識
②集合意識

しかし実は集合意識さえも、自分の選択で決めているため、全ては『自分次第』ということは間違いありません。
と言うことは、世の中に起こる全てのことは、自分を映した鏡だということですね。
全ては自分が意味づけをして、その世界を見ているわけです。
鏡を見ると、そのときの自分の顔を見ることができますね。
顔色が悪い、寝癖が付いている、化粧崩れしている、など、鏡を見ることで知ることができるのです。
つまり、自分が感じたままの世の中は、自分が映った鏡のようなものだということです。
気付くこと、気に障ること、感動すること、つまらないと感じること、全ては自分が感じたこと、自分の心だということです。

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